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 晃との面会後、担当医から説明があり、妻と20歳を超えている長女・次女とで聞きました。
 「手術自体は、成功しました。今は小康状態ですが、重篤は変わっていません。でも、お子さんはまだ若く体力があるので、そこに期待しています。
 切断した両足については、業者に依頼し火葬してもらうことができます。お子さんが回復したとき、『自分の足はどうしたのか?』ということになるので、火葬をお勧めします。考えておいてください」というものでした。
 私は、「重篤状態なので、もし逝ってしまうことになり、足がなかったのでは三途の川も渡れないのでは?もう少し、容態がはっきりするまで待ってください」と話しました。
 それでも、医師の「若くて体力があるので」という言葉に、希望を見出しました。家族全員が、同じ思いだったと思います。
 晃がこうした状態になって、小さいときのこと、これからのこと、現状と、いろいろな場面が頭をぐるぐると回りました。
 一方ショウ君は、病院に運ばれたときと状況は変わらないとのことでした。ショウ君のご両親とお話しをし、「また明日」ということで、家に帰ることにしました。
 子どもたちのネットワークは、すごいものがあります。私たちが家についてから、晃やきょうだいの友人たちが集まり始め、千羽鶴を折りはじめました。回復への願いを込めて、けして器用ではないけれど、一生懸命折ってくれました。
 この日は、15名ほどだったでしょうか。「皆さんの気持ちはとても嬉しいけど、明日は学校や仕事があるから切り上げてください」と伝えましたが、それでも数名は徹夜で鶴を折っていました。
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 警察官の方の話は、以下のとおりでした。
 「今日の午前7時20分頃、富士見市の油橋手前の交差点で、お宅のお子さんの原付とワゴン車の出会い頭の衝突事故がありました。現場は、公安委員会の『止まれ』の標識がない場所で、双方徐行しなければならない場所です。
 お子さんたちは二人乗りで、一人のお子さんは道路に倒れていました。晃さんは、ワゴン車に引きずられ、その車の下敷きになりました。ガソリンの引火で、バイク・車が炎上しました。救急車と消防車が出動する大きな事故で、息子さんたちは今この病院で手当てを受けることになりました。
 相手の運転手は無事で、現在警察で事情聴取を行っています。バイクを運転していた方は、はっきりしていません。今後、事故の状況がもっとはっきりすると思います。
 息子さんたちには、本当にお気の毒です。でも、なんとか身内のみなさんが病院にいらしていただき、治療室には入れなくても近くで励ましてあげてください。その思いは、きっと伝わると思います。」
 私は、「いろいろ、ご迷惑をおかけします。運転については、昨年暮れに買ったうちの子のバイクなので、晃に間違いないと思います。」と伝えました。
 その後、午後8時頃でしょうか、家族全員で晃と面会することができました。晃は呼吸器を付け、意識もありませんでした。足の部分はタオルケットで覆われ、中には何か入っていたのでしょう、両足がないことは感じませんでした。
 私たちは「晃!あっ君!!」と手を握りながら呼びかけましたが、反応はありませんでした。たぶん家族の誰もがそうだったと思いますが、一人ひとりの晃への気持ちが痛いほどコダマとなり、集中治療室の中で反響していたことを感じました。

 ショウ君のお父さんは、すでに状況は把握されていて、私が「なんと言ってお詫びしていいか・・・」というと、お母さん同様「お詫びなんてとんでもない、私の子どもの方こそ・・・」と、頭を下げられました。
 お互い、なんとしても子どもたちが助かるように、祈らずにはいられませんでした。
 車を運転していた人の、会社の経営者が見え、「この度は・・・」ということで、頭を下げて行かれました。建築関係の有限会社で、そこで雇用されている職人が事故を起こしたとのことでした。
 このときは、原付バイクに二人乗りしていた晃にも否はあると思っていましたので、責める気にもなりませんでした。
 とりあえず、面会まで時間があったことから、一度家に帰り子どもたち全員を病院に連れて行くことにしました。病院に向かう車の中で一通り説明しましたが、子どもたちからは「あっ君絶対大丈夫だよね!」とすぐに声が返ってきました。
 とても仲のよいきょうだい、そのまとめ役割を果たしていたのが晃。子どもたちの心配する気持ちは、とても重く伝わってきました。
 午後5時すぎには、家族全員が病院にいました。私も家内も、時間の経過がまったくわからないほど、混乱していました。
 その後、東入間警察署の方が病院に見え、今の時点でわかっていることを、聞くことができました。

 病院には、家内は私の祖母と一緒に行きました。そこには、すでに、晃の親友・ショウ君のお母さんが来ていたそうです。
 状況は、はっきりしていなかったのですが、原付バイクに二人乗りをしていて、事故にあったとのこと。ショウ君も、この病院に晃とともに運ばれたということです。
 私は、お母さんに一通りのごあいさつと、晃のせいで事故に巻き込んだことを、お詫びしました。お母さんは、「そんなことはありません!うちの子こそ、すいません。大好きなあっ君(晃)と一緒で・・・」と言って、言葉にはなりません。
 ショウ君のお父さんは、海老名の方からこちらに向かっているとのことで、のちほど容態がわかってから、またお話しすることにしました。
 
 医師の話は、信じたくないものでしたが、妻と一緒に聞きました。
 交通事故で、車に引きずられガソリンに引火したため、病院に運ばれたときはすでに重篤状態。いちばんひどいのは両足で、火傷というよりもう炭素化していて、切断するしか助かる方法はない。性器は大丈夫だったが、人工肛門は装着する必要がある。そのほか、数ヶ所の骨折や内出血もある。現在は、両足を大腿部から切断する手術を行っている。頭も打っていて意識はない、というもの。
 私たちは、たぶんすべての親がそう思うように、「何とか命だけは救ってください!私たちにできることはなんでもします!!」と言っていました。
 医師も、詳しい事故の状況はわからないようで、「のちほど、警察の方から聞いてください。また、面会できるのは、夜になると思います。その後、またお話ししましょう」ということでした。
 それから私は、数枚の同意書に署名し、ショウ君のお母さんともお話しました。ショウ君の容態も説明があったようで、頭を強く打っているため意識不明。回復するかどうかは、わからないということでした。
 お互いに容態について話し、もう涙が止まらない、何をどう表現すればいいのか・・・原付を運転していたのは、「晃だ」とすぐ感じましたので、申し訳ない思いでいっぱいでした。
 まもなくして、お父さんもお見えになりました。

 平成19年1月17日、水曜日。私はいつもどおり家を出て、いつもどおりの時刻に職場に着きました。 午前10時過ぎ、家内から電話が入りました。「晃が、交通事故で大変なことになっているらしいの。埼玉医大の救急センターに運ばれたそうだから、あなたもすぐ来て!」
 私はそのとき、詳しい状況もわからず、生命にかかわるようなことだとは、想像もしませんでした。もちろん、家内も何がなんだかわからない状態でした。
 「それじゃ、交通の便も悪いので、一度家に帰って車で行くようにするから!」と、電話を切りました。職場のみんなには、「子どもが交通事故を起こしたみたいで、骨折かなにかで病院に運ばれたようなので、申し訳ないけれどこれで帰るから」と告げ、職場を出ました。
 港区の職場から家までは、かなり時間がかかります。その時間の中で、「たいしたことはないだろうけど、万が一ということもあるし・・・」と、何度も不安が頭をよぎりました。
 病院に着いたのは、12時半過ぎ。家内は、すでに待合室にいました。「どういう状況?」と家内にたずねると、今にも泣き出しそうな顔で「わからないけど、あとで先生が説明してくれるって」と。私は、「晃は大丈夫だから、しっかりしようよ!」と、励ましにもならない言葉がでてしまいました。
 妻との沈黙の時間、30分か1時間か、どれほど時間だったのでしょう。家内と一緒に、説明聞くため、医師の部屋に案内されました。
 その話しは、息が詰まるほど、呼吸ができなくなるのではと思うほどの衝撃でした。
 
 

 晃(あきら=5人きょうだいの3番目の子で長男)は、平成2年4月12日生まれ。この世を離れることになったのは、平成19年1月20日。
 16年と9ヶ月余の人生でしたが、晃と暮らした年月は何ものにも変えがたい宝物です。
 晃のことを愛してくれた多くの人たちには、家族として感謝・感謝です。私たち家族も、本当に晃のことは愛していました。
 葬儀のときには、500人以上の参列をいただき、晃もどこかで喜んでいると思います。多くの友達が、時間をつくって来ていただいたことは、親としても涙が出るほど嬉しかったです。そして、たくさんの人に慕われていたこと、あらためて知りました。
 人生には「まさか!」が、あるのですね。
 中学生の頃、塾に通っていてそこでの先生の話を、ふと思い出しました。その話の要旨は、「ある人が孫が生まれたので、高名な方に記念に一句作ってくださいとお願いした。そこでできた句は『親は死ね 子は死ね そして孫は死ね』というものだった。依頼者は、『おめでたい句を頼んだのに死の句を作るなんて!』といって憤慨した。そのとき、高名な方の弟子が『そうではありません。これ以上、おめでたい句はありません。この世の中で、親・子・孫の順番で召されることが、一番幸せなことです。もし、この順番が違うようなことがあれば、それ以上の不幸はありません』ということで、依頼者も感心したというものです。
 私も、死ぬことに恐れはありません。でも、恐れるのは、自分より先に家内や子どもたちが逝ってしまうこと・・・それだけは、もうカンベンです。
 もし、何度でもこの世に生まれ変わることができるなら、きっと君たちのことを思い出す!!信仰心のない私でも、そう思っています。
 晃のこと・・・きちんとした真実をずっと伝えることなく、今日まできました。晃のことを愛してくれたみなさんには、本当に申し訳ない思いでいっぱいです。
 まだまだ、「晃がドアを開けて『ただいま』と帰ってくるのでは」なんて、思ったりします。そして、この子のことは、1日たりとも忘れたことはありません。つい、毎週日曜日には墓(私の親父も眠っているのですが)に、行ってしまいます。
 晃からは、「もういいから、毎週来るなよ!」なんて声も、聞こえてきそうな気にもなることが、あります。
 それから、晃が「この世に生んでくれてありがとう」と思ってくれてるかな。・・・私たちは、「君がこの世に生まれてきたこと・・・心からありがとうといつも思ってる」・・・伝えたり、答えてくれたり・・・できないだけに辛いですよね。
 晃のことは、伝えたいと思っていても、書こうと思っていても、できない部分が多々ありました。それは、私の心の整理の問題でもあります。
 でも、晃が生きていた証のためにも、そして家族を含め晃のことを愛したくださったみなさんへのメッセージ・・・少しずつ客観的に、また事実と推測をはっきりさせたうえで、書いていこうと思います。

 5連休も今日で終わり、ちょっと淋しいですよね。明日・あさっても休みの会社あるようで、最大9連休になります。会社の景気がよくて休みならいいのですが、生産調整はつらいですね。
 昨日は、車の掃除のあと、家族で連休2回目の墓参り・食事・ショッピングなど。めったに車の掃除をしないので、子どもたちからも「見たことない!」「初めてじゃないの?」などの声。車を買って6年になりますが、たぶん2~3回しか掃除をしていません。
 以前、講演会で講師の方が「車をピカピカに磨いている人がいますが、人身事故があっても相手のことを心配するのでなく、自分の車のことを心配してしまうのではないでしょうか。車は、あくまで人や物を運ぶ道具です!」と話していました。
 もちろん、その前後にも話しがあるわけですが、けっこう共感する部分があり、あまり車をきれいにしていません。けして不精なわけではありませんし、まめに洗車や掃除をしている方を批判するつもりも、まったくありません・・・
 今日は、車の掃除の続き、ちょっとパチってから野球観戦。巨人優勝、おめでとうございます。休日に、優勝を決めるというのは最高です。とくに、今年は優勝確実なだけに、3連勝でTV放映のある日に決められたのは、ファンにとっても嬉しいことですよね。
 私は、親父の影響からか、子どものときから中日ファン。でも、アンチ巨人ではなかったです。長嶋さん・王さんはチョー大好きでしたし、「中日が優勝できなければ巨人に優勝してもらいたい!」といつも思っていました。
 ということで、5連休が終わってしまいました。晃(長男の死亡事故)のことも、もうすぐ書けそうです。

 連休3日目ともなると、これまで録画したDVDを観たり、家内と「また映画でも行くか!」ということになりました。
 子どもが小さい頃は、休みといえば必ずみんなで出かけていましたが、今は家内と2人・・・チョット淋しいですね。
 というわけで、「ウルヴァリン」ですが、本編(XMEN)より面白かったです。まあ、あとからつくった作品なので、エンターテーメント精神が増すのは当たり前でしょうが・・・
 洋画では、本編が一応最終話となっても、どういうわけか原点というか過去にさかのぼっての作品をつくちゃうのがすごいですね。
 迫力のあるシーンの連続でしたし、何よりも「こういう過去があって本編につながるんだ」ということで、納得です。
 コミックが原作の映画もたくさんありますが、その中でもとても楽しい作品に仕上がっていました。とくに、冒頭の兄弟で生きる時間の流れは圧巻。そして、ミュータント同士・ミュータントと一般人の関係性が、色濃くでていました。
 「次(続編)はどうなるのだろう?」と思ったのは、私だけでしょうか。

 長男(3番目の子)が他界してから、3回目の秋の彼岸。毎週(基本は日曜日)墓参りには、妻と行っているのですが、彼岸ということで人も多く、特別な思いがこみ上げてきました。子どもの友達も、来てくれたようです。
 ようやく子どもの死について、自分なりに受け止められるようになってきたので、そろそろ皆さんにもきちんと報告しなければ・・・と思っています。けっこう、自分にとっては踏ん切りがつかないことで・・・でも長男(晃)のことを愛してくださった多くの方には、いつも感謝です。

 墓参りの後、「カムイ外伝」を観に行きました。監督・脚本・スタッフは、宣伝にもあるように、現在の日本映画では最高ですよね。素晴らしい、エンターメント時代劇でした。
 手裏剣が飛んできたり、サメが出てきたり、そのたび体をのけぞらせてしまいました。C・Gもありますが、ワイヤーアクションが多用され、「忍者!」という感じでしたね。なにか、「隠密剣士」以来の感じるものがありました。
 家内は、けっこうショックを受けたよう。「え~!まさか」という、感じでした。ハッピーな結末ではなく、「あり得ない」展開だったのでしょう。
 白戸三平作品は、大好きでした。「カムイ伝」は、学生運動がピークだった頃、「学生のバイブル」と言われました。権力者の都合の良いようにすべてが決められ、決められた身分からは逃れるすべがない。自分が何のために生きているか、考える時間もない。一揆が成功したと思っても、最悪な結末が待っている。でも、戦い続ける・・・といったイメージが強くあります。
 白戸三平作品集という豪華本が発刊され、巻末に尾崎秀樹氏が書かれていたことを思い出しました。趣旨は、「歴史は繰り返す。だから歴史を検証して、未来に生かすことが私たちの使命だ」と。
 白戸作品は、もともとマイナーで、貸本や、「ガロ」という雑誌とともありました。メジャーでは、「カムイ外伝」のほか、「サスケ」「ワタリ」などがありました。夢中になって読みましたが、何か心に引っかかるものがありました。それは、5年後、10年度、それ以上たって、読み返すと作品のメッセージが伝わってきたのです。少年漫画(劇画)とはいえ、厳しい時代に、伝えたいことを曲げなかった白戸先生は「超すごい!」のです。
 「カムイ外伝」は、私にとっては、カッコイイというイメージがありました。少年サンデーに連載され、カラーアニメ化もされました。たしか、主題歌は水原弘さん。日曜日の夕食時の放映で、血生臭い・あるいは権力に反抗するというより、カッコよさが前面に出ていたと思います。もっとも、私が幼かったのかも知れませんね。機会があれば、全編見返してみたいと思います。
 映画の「カムイ外伝」では、原作の趣旨を損なわず、つらい展開でした。でも、白戸作品の本質は、そこにあると思います。また、映画化にあたり数あるカムイのスーリーのなか、映像に適したものを選んだと思います。海・島が出てきたことで、映画としてもスケールがでかくなりましたよね。
 なにより、映像として残すことで、そして、何年か先にまた見ることで、違う思いが伝わることでしょう。
 彼岸の時期、「カムイ外伝」で、「人間ってなんだろう」、「生きるってなんだろう」そう感じたのは、私だけではないと思います。
 

 今日から、シルバーウィークと呼ばれる大型連休が始まりました。朝からニュースで、高速道路の渋滞を伝えていました。
 渋滞の中、「出かける家族も大変だな」などと思いつつ、中学3年生の息子(一番下の子)の体育祭に行ってきました。地元の友達と一緒に行う最後の体育祭、大いに楽しんでほしいと願っていました。
 息子は、「中学校で初めて優勝できてよかった!」とのことです。
 ちょっと前になりますが、5人の子どもたちが、幼稚園・小学校・中学校ということもありました。ですから、毎週、運動会(体育祭)に出かけたことを思い出します。なかでも、幼稚園の運動会が一番楽しい思い出ですね。ビデオカメラを構え、子どもの動きをずっと追っていました。
 家族みんなで、にぎやかに弁当を食べたのも、幼稚園のときだけでしたね。小学校・中学校は、子どもたちは教室で弁当を食べていましたから。
 小学校くらいは、校庭で家族で弁当を食べても・・・PTA会長をしていたとき、そういった声をたくさん聞き、PTA(もちろん学校側も含みます)の会議で検討したこともあります。
 ずぅ~と、児童は教室でというスタイルが定着していました。一番のネックは、家族が来られない家庭の児童はつらい思いをするということ。「子どもと一緒に弁当を食べたい」という意見は圧倒的に多かったのですが、問題を解決する妙案が浮かびませんでした。
 問題解決ができない以上、多数決で決めるのは横暴です。最終的には、各家庭にプリントを出し、家族が来られないケースが1件でもあれば、現状のままということになりました。
 結果は、今でも児童は教室で・・・ということです。
 でも、運動会・体育祭はたくさんの思い出をつくってくれました。実は、「今日は絶対見に来ないように!」と息子に言われていました。しかたなく、陰からこっそりでした。たぶん、私が見に行くことのできる最後の体育祭・・・連休初日とはいえ、センチメンタルな気分になりました。

 ポケモンの新作ソフト、ハートゴールド・ソウルシルバーを買うため、朝9時30分にみずほ台の古本市場に並びました。
 ソフト自体は先週(9月12日)発売だったのですが、予約していなかったので子どもたちの手に入らず、今日が再入荷の日でした。予約はできないし、一人1本ということで、朝から並ぶことになったのです。
 並んだ段階で50人ほど、10時の段階では100人以上だったでしょうか。子どものため・・・本当にこれが子どものためか疑心暗鬼でしたが、金・銀2本のソフトを手に入れるため、妻と一緒に行ったのです。
 おかげさまで、めでたく2本ゲット!しかも、500円引きでした。そして、あっという間に、売り切れになりました。平日ということで、子どもの姿はありませんでしたが、お母さんらしき人、ご夫婦で並ばれる方もいました。
 昔は、子どもと一緒にいろいろなものの発売当日に並んだことを思い出しました。ソフト以外でも、限定のミニ四駆・ハイパーヨーヨー・カードなどなど・・・
 子どもたちが夢中になるものは、親の立場でそれを理解すると結構一緒に燃えちゃたりします。とくに、ポケモンやセーラームーン、遊戯王などは、それとともに親になったことを実感したのです。
 私たちが子どもの頃、夢中だったものがあったように・・・ポケモンをはじめ子どもたちが夢中になるものも、友情や愛や希望、そして徐々に大人になる心を培ってくれると思います。
 なによりも、親子でそういったものを共有できる楽しさは、最高ですよね。

 昨日の続きですが、今日は第5位からです。
 第5位「スポーツマン金太郎」・・・あのトキワ荘の重鎮、寺田ヒロオ先生の作品。子どもの金太郎・桃太郎のライバルが、プロ野球チームに入って対戦する。大相撲でも、対戦していました。本当に夢のある作品で、大好きでした。寺田作品の純粋な野球漫画では、「背番号0(物語)」があり、これも心温まる作品でした。
 第4位「キャプテン」・・・ちばあきお先生の作品で、続編の「プレイボール」もありましたよね。ちばあきお先生は、とても純粋な方で、躁鬱で悩まれ若くして亡くなりました。残念でなりません。
 第3位「ドカベン」・・・この「ドカベン」だけでなく、水島作品は夢中になりましたね。野球は、水島先生のライフワークですよね。「あぶさん」「野球狂の歌」「男ドあほう甲子園」「一球さん」などなど・・・初期の短編にも、傑作がたくさんあります。
 第2位「ちかいの魔球」・・・福本和也先生の原作で、ちばてつや先生が描かれました。その後の野球漫画にも、大きな影響を与えました。笑いあり、涙あり、今でも心に残る作品です。肩を痛めた二宮光投手が、最後はメジャー相手に魔球を連投・・・感激しました。
 第1位「巨人の星」・・・梶原一騎・川崎のぼる作品で、TVでもすごい視聴率でしたよね。野球少年だった私は、読みながら涙を流したものです。でも、オズマが出てきたあたりから、なんとなく機械っぽい感じがしてつらかったです。画も、きっちりしすぎというか、スクリーントーンなどで縦の線が多様されましたよね。だんだんラストに近づいていることが、わかりました。それでも、野球漫画として画期的な作品であり、野球少年だけでなく、多くの人に感動を与えました。
 余談ですが、私の妹がちばてつやプロに勤めていた時期があります。そのとき、ちばあきおプロにいた今のだんなと知り合いました。結婚の媒酌人は、ちばてつや先生で、あきお先生ご夫婦も参列していただきました。私は、どういうわけか司会をしました。
 式後、ちばてつや先生に、「あしたのジョー」のラストの灰になる場面は、「どうとらえればいいのか」と、失礼にも質問してしまいました。先生は、「読者一人ひとりが、それぞれの思いでとらえてくれればいいんです」とおっしゃていました。

 昨日は、イチロー選手のことを書きました。合わせて、子どもの頃野球少年だったことも・・・そこで、当時好きだった野球漫画を10本ほど紹介したいと思います。
 あだち充作品も大好きなのですが、子どもの頃と言うには、私にとってリアルタイムでなかったので・・・「すいません」です。
 10位「なげろ健一」・・・高校球児が、プロ野球チームをつくってしまうという、ストーリーの展開が面白かったですね。辻なおき先生で、「ゼロ戦はやと」はモノクロアニメになりましたね。「タイガーマスク」は後期の作品です。
 9位「オレと金やん」・・・パリーグをテーマにした作品は珍しい(「あぶさん」は有名ですが)のですが、ロッテの監督金田正一さんの時代の作品です。
 8位「黒い秘密兵器」・・・ジャイアンツの投手、椿林太郎の活躍を描きました。当時は、アニメ化されませんでしたが、朝日ソノラマからソノシートも発売されていました。♪きっとやるぞパーフェクト・・・メロディは今でも覚えています。
 7位「父の魂」・・・貝塚ひろし作品で、バットをテーマにしていました。このほか、「くりくり投手」などの野球漫画もありました。「ゼロ戦レッド」も好きでした。
 6位「ストップ!にいちゃん」・・・関谷ひさし先生の、大傑作。スポーツ万能の兄ちゃんは、野球だけでなくいくつもの部の主将を掛け持ち。純粋な野球漫画では、「ジャジャ馬くん」も描いていましたが、やはり「ストップ!にいちゃん」なのです。
 5位からは、後日ということで・・・

 イチロー選手が昨日、メジャー史上に輝く9年連続200本安打を達成しました。日本人選手として、メジャーでも最高の栄誉を手にし、本当に誇りに思います。
 マスコミ等で報道されている以上に、多くの葛藤を乗り越え、日々の精進を欠かさなかった成果だと思います。
 私の子どもの頃は、メジャーと言えば夢のまた夢。メジャーの球団(選抜のことも)が日本に来て、ある程度観光気分の中、日本のチームやオールスターと戦っても、日本はまったく歯が立たなかったことを思い出します。
 野茂投手やイチロー選手が、パイオニア的な存在になり、日本の野球をメジャーに知らしめたのはすごいですよね。少し前は、日本人選手のメジャー流出に否定的な声もありました。でも、最近は野球人として高い所で野球をやりたいという個人の意思を、世論も認めるようになりましたね。
 私も野球は大好きで、小学生の頃、埠頭公園(港区)が少年野球のグランドとして整備され、少年野球チームに入りプレーをしました。当時の私の家からは、グラウンドまでは道を一本へだてただけ。友達が必ず呼びに来るので、ずる休みもできなかったですね。その後、中学・高校でも野球部でした。
 長男も野球が大好きで、一緒にメジャー・イチロー選手の試合をドームまで観に行ったことが、思い出されます。
 ところで、イチロー選手の話は、まるで禅問答のよう。それだけ何歳になっても高みを目指し、試行錯誤を繰り返しているのでしょう。
 こうなったら、連続ではありませんが、ピート・ローズ選手の200本安打10年をぬいてほしいですね。
 イチロー選手、本当におめでとう!そして、たくさんのものを私たちに与えてくれてありがとう!!

 『サマーウォーズ』の公開も、新座シネプレックスでは9月18日までとなり、昨日家内と一緒に観に行きました。館内は混雑状態、口コミなどで観客の動員も増えたようです。
 私は、長女から『サマーウォーズ』は「絶対みなきゃ!」と言われていました。
 また、和田さんからも先週金曜日に飲んだ席で、「岡村さんがまだサマーウォーズをみてないんですか?」などと言われ、これは「みるっきゃない」です。
 和田さんとは、もう6年ほどの付き合い。映画やTVにはめっぽう強く、話しが合います。現在は、富士見市の水子貝塚公園に、週5日くらい姿を現しているそうです。
 『サマーウォーズ』ですが、やはりアニメでしか表現できない世界を、展開してくれました。原作も知らず、内容も聞いてなかったので、冒頭から「びっくり」。
 ネットの世界と、長野県の上田(旧家)との対照的な情景も良かったですね。さまざまな年代の、個性的なキャラもたくさん出てきました。こんなに出てくると、結構うっとうしくなるのですが、それもなく逆に楽しめました。
 90歳のおばあさんから、子どもまで、一人ひとりがその個性を発揮していました。そして、みんなで力を結集し、世界中の人から協力を得て・・・最後の最後まで楽しめる作品でした。
 最近は、「アニメはちょっと」という私ですが、「やはりアニメもみなければ」となりました。
 

 昨日フジテレビの「土曜プレミアム特別企画」を、家内と一緒に観ました。
 戦争が終わっても、モンテンルパの刑務所に戦犯として収監された日本兵、それを何とか救おうとする渡辺はま子さんたち。実際の映像・音声・写真・インタビューを交え、とても見ごたえがありました。
 最初のうちは、妻も「何で日本人はモンティンルパと発音しないんだろう?」と言ってたのが、「もう、終わるまでお風呂に入れない!」となりました。そして、「フィリピンは貧しかったけど、みんな平和に暮らしていたのに、なんで日本軍が来て罪もない人をゲリラ扱いして殺害したのか?」と問われると、「・・・」となってしまいました。
 渡辺はま子さんは知っていましたし、「支那の夜」「桑港のチャイナタウン」などの歌もなじみがあります。昭和28年生まれの私は、子どもの頃結構周りの人がこれらの歌を口ずさんでいた記憶があります。当時は、ラジオを聴きながら家事や仕事をし、歌謡曲は人々の心のオアシスだったと思います。
 でも、渡辺さんがこれほど献身的に、そして自分のライフワークとして活動されていたことを知り、本当に尊敬です。自分の歌で、日本の勝利のため多くの日本兵を叱咤激励し、戦場に送り出したこと。戦後、つらく苦しい自分との葛藤の中で、自分のするべきことを成し遂げた(道半ばだったかも知れませんが・・・)信念と行動には、心から拍手です。
 戦犯の日本兵といっても、もちろん本当に責任のあった人はほとんどいなかったでしょう。『私は貝になりたい』でも、軍国主義の恐ろしさ、上官の命令は絶対だったこと、戦争は人を狂わせ誰もが不幸になることがわかりますよね。
 戦後、私が生まれる年くらいまでモンテンルパの刑務所にいて、実際に死刑になった日本兵。いつ自分の番が回ってくるのか、寝てもさめてもそれしか考えられない・・・そんな中、渡辺はま子さんの歌は「希望」だったのでしょう。
 また、戦犯の皆さんが作った「ああモンテンルパの夜は更けて」を、当時国交が断絶していたフィリピンの現地で渡辺さんが歌うシーンは、感動でしたね。
 妻がショックを受けていたのは、昭和28年頃のフィリピンの大統領が、奥さんと子どもを日本兵に殺されていたことだったようです。当然、妻はこの大統領のことは知らないので、顔写真の載っている本を持ってきてみせました。エルビディオ・キリノ大統領で、温厚そうな方、在任期間は1948年~53年です。
 ですから、大統領になる以前に、日本軍による殺戮を目の当たりにしたのでしょう。
 結局、戦犯とされていた108人は、この人の特赦で帰国することができました。次期大統領選挙のため、フィリピン国民の感情からみて、戦犯の死刑執行するのではというシーンがありました。でも、在任期間からみて(1953年まで)、自分の名声より、人の命や未来のことを考えたのでしょうね。もちろん、渡辺さんたちの努力も、すごかったと思います。
 キリノ大統領は、奥さん・子どもを不合理なことで亡くし、地獄を体験した人です。でも、これ以上たくさんの人に地獄を見せたくないし、人が人を憎み続けることは不幸なことだと思ったのでしょう。
 余談になりますが、フィリピンの大統領は独立前の1935年から。2人の大統領のあと、日本占領時代の1943~45年のホセ・ラウレル大統領を経て、戦後の1946年~48年がマヌエル・ロハス大統領。キリノ氏は戦後2番目の大統領として、処刑の執行か否か決断する立場でした。
 開放されて日本に戻ってきた方々も、今では90歳過ぎ。それでも、「モンテンルパのことは忘れたことがない」と言って、涙を流します。まるで、今でも戦争が終わってないかのように・・・
 この年齢になって、戦争は国も人も心も、すべて破壊する、この世で最悪な人間の過ちだと思う日が続きます。日本人として、平和のためにできることがあれば、なんでもしたいと思っています。
 

 クレヨンしんちゃんの映画は、子どもの成長に合わせ毎年観ていたので、映画とその当時の子どものことが結びつきますね。
 「嵐を呼ぶ焼肉ロード」も、見終わった後みんなで焼肉を食べたいということになり、映画の感想を語りながら食べたりしました。しんちゃんの中でも、ロードムービーということで、楽しかったですし、時々キャラが劇画調になったりしました。なにより、「おいしそうな焼肉」が・・・よだれもんでした。
 さて、「BALADD」ですが、「あっぱれ戦国大合戦」と見比べることをお薦めです。こういう映画をつくること自体が、勇気がいることで「すごい」ことですよね。
 2つの映画の違いは、草薙さんが主役かしんちゃんが主役か。涙や感動と、ハチャメチャな笑いのコントラストの部分。たとえば、「男はつらいよ」などでも、笑える部分が多ければ多いほど、ホロッとくる場面は心にしみちゃいますよね。
 それから、テンポの差があります。「あっぱれ・・・」が黒澤作品をほうふつと書きましたが、それは飽きさせずにスピーディーな展開があればこそです。
 また、「BALADD」はみんな超まじめ。時空を超えてやってきたしんいちくんも、いわゆる「いい子」なのです。未来からやってきたのだから、観客にももっと「驚き」をくれると良かったと思います。
 「本当は、もっともっとおもしろくなったのでは?」と感じたのは、私のわがままでしょうか。

 私の子どもたちは「クレヨンしんちゃん」が大好きで、映画は欠かさず観ています。親子で観に行くのですが、最初はバカにしていた「しんちゃん」・・・観ると結構イケてるのです。
 4番目・5番目の子たちは、それこそ赤ちゃんのときから観ていました。まあ、今は1番下の子どもも中学3年生。子どもにせがまれて映画館に行ったのも、もう4~5年前の話となってしまいました。
 映画「クレヨンしんちゃん」で、「あっぱれ戦国大合戦」や「大人帝国の逆襲」は、子どもたちも映画だけでなくDVDでも何度も繰り返し観ています。私も、とても好きな作品。
 「あっぱれ戦国大合戦」は、大井のサティ(当時は新座シネプレックスがなかったので)まで行きました。帰りの車の中で、当時小学生だった3女がぽつりと「私、又兵衛が撃たれて死んでしまうシーンで泣いちゃった!」といった言葉が今でも頭に残っています。大人の目から見ても、笑いあり、涙あり、黒澤作品をほうふつさせるシーンありと、本当に印象に残りました。
 昨年、この「あっぱれ・・・」が実写化されるということを聞き、親子で「絶対観に行こう!」という話しになっていました。今回は、体調の悪い子がいて、あまり待てない(私が早く観たいということ)ので妻と2人で観に行くことに・・・子どもたちは来週行く予定です。
 草薙さんの桧町公園事件があり、『BALLAD』の公開はどうなるのか心配していましたが、無事に公開されよかったです。
 話しが長くなりましたので、映画の感想については続くということで・・・

 昨日、ニュースで大きく取り上げられた千葉県の全庁的な不正経理。森田健作知事が、頭を下げ、陳謝していました。
 しかし、昨今に始まったことでなく、私が思うには何十年も前からの慣例だったのでしょう。実態としては、文書(証拠書類)の保存年の関係で、数年前までしか遡れないでしょう。
 私も3月まで公務員だったこともあり、「信じられない!」というのが率直な感想です。不正に使ったお金は、貴重な税金です。「悪いこと」と気づいていた職員も、たくさんいたと思います。なぜ、もっと早く内部告発がなかったのか?内部発ができないような、封建的な体質だったのか?千葉県民ではないですが(埼玉県民です)、驚いてしまいます。
 人間として、楽な方に流れてしまうのはわかりますし、古い体制に迎合する方が上司からいやな顔をされず、仕事もしやすいと思います。でも、公務員としての使命を、忘れてしまったのでしょうか?
 「与えられた予算は使い切ってしまう」という感覚が公務員にはありますが、今の時代、それは古いですよね。
 今回は、ほとんどが消耗品の購入についての不正だったようです。業者の方々も、「NO」といえない弱い立場で、領収書を改ざんせざるを得なかったのでしょう。
 普通は、内部監査で消耗品の適切な量もチェックできるはずです。通常は、納品の検査・立会なども複数の職員で確認します。さらに、「不正」と気づいた人が告発し、保護される制度も確立している自治体がほとんど。ですから、なぜ自浄作用がもっと早く働かなかったのか、不思議です。
 弁解の余地はないので、弁済すべきはきちんとして、もう一度公務員として襟をただし、県民の信頼を回復するしかありませんね。
 森田健作知事の就任前の出来事で、気の毒には思いますが、強いリーダーシップを期待しています。
 森田健作さんといえば、松竹系で公開されたデビュー作『夕月』を観ました。当時は超人気の黛ジュンさんの相手役で、公募で選ばれボクサー役を熱演していました。『おれは男だ』も、好きでしたね。
 歌でも、ずいぶん励まされました。私は、「友達よ泣くんじゃない」が大好きで、勇気をもらいました。「さらば涙と言おう」「若者たち」などもありました。歌は、あまり上手じゃないのですが、ハートが伝わってきました。
 厳しい状況に立ったときこそ、ハートで真心を伝えるしかないと思います。

 昨日は、「ジャングル大帝」のことを書きました。すると、結構子ども時代のアニメが浮かんできました。とくに、モノクロ時代のアニメには熱中しました。
 なんといっても、「鉄腕アトム」。テーマソングが流れただけで、心が躍りましたね。カラーアニメ「ジャングル大帝」の放映は、アトムから3~4年ほどあとだったでしょうか。「ジャングル大帝」が放映されたあとも、モノクロアニメは、数年続いていました。手塚作品の「どろろ」は、モノクロアニメ時代の最後の方だったと思います。
 「鉄腕アトム」は大好きで、明治製菓が提供していました。マーブルチョコレートのおまけにアトムシールがついていましたので、必死になって食べまくりました。メチャクチャ、シールを集め宝物にしていました。
 「鉄人28号」は、グリコが提供。グリコ製品に、鉄人のワッペンがおまけについていたのですが、なかなかこちらには手が回りませんでした。基本的に、おやつは1品でマーブルチョコだったので、親に「グリコも買って」とは言えませんでしたね。でも、妹に「グリコはおいしいから・・・」などと言って買わせて、ワッペンはもらったりしました。
 悲惨だったのは、「狼少年ケン」で、森永のココアにシールがついていました。これも飲みまくり、シールを集めました。ココアに食パンをつけて、食べていましたね。この頃ココアを飲みすぎたせいか、もう40年以上ココアは飲んでいません。
 「狼少年ケン」は、♪ワオーワオーワオー・・・ボバンババンボ♪という主題歌で、今でも♪カムントニャンニャン・・・♪とCMで使われていて、とても懐かしいです。
 さらにひどかったのが、「エイトマン」で、丸美屋の提供。おまけ欲しさに、ふりかけの「のりたま」が一時期私の晩餐でした。
 「おばQ」は不二家の提供でしたし、製菓・食品会社が主にモノクロアニメのスポンサーだったと思います。
 「宇宙エース」は、あの竜の子プロの第1作だったと記憶しています。白戸三平作品をアレンジした「風のフジ丸」も、大好きでした。
 劇場でも、東映漫画まつりなど、TVで放映した作品を何本かまとめてそのまま公開していました。当時は、TVで観るのと、劇場とでは大違いだったのです。
 そういえば、モノクロ作品のフィルムにあとから着色するなんてこともありましたね。劇場版の「鉄腕アトム」は日活系で公開されましたが、基本はTVアニメの総集編。この中で、「地球防衛軍の巻」の部分はTVとは違いカラーでした。当時は、パートカラーなんていっていました。
 「スーパージェッター」もモノクロでしたが、カラーバージョンもありましたね。
 なんであんなに夢中になったんだろう?なんであんなに夢中になれたんだろう?・・・子どものときのパワーというのは、「無限の夢」ですよね。子供時代がなくて、いきなり大人になったら、きっと無味乾燥した人生になるでしょう!

 今日は「ジャングル大帝」を、TVでしっかり観ました。
 最近は、子どもの成長とともに、アニメはほとんど観なくなりました。子どもと一緒に、「ドラえもん」「しんちゃん」「ポケモン」「セーラームーン」などなど観ていた頃は、本当に楽しかったですね。
 私は、「漫画少年」で、子どもの頃は漫画本・漫画の実写版そしてアニメは、一番の楽しみ・・・当時を思い出すと、自分の生活そのものだったと思います。
 手塚治虫先生は、私の神様。何度か実際にお会いする機会があり、ハートがドックン状態だったことも覚えています。
 子どもの頃の、TVアニメ「ジャングル大帝」は連続ものとしては日本初のカラーだったと記憶しています。40数年も前のことなので、違っていたらお許しいただきたいと思いますが・・・提供はSANYOで、音楽も良かったですよね。TVアニメをつなぎ合わせた劇場版も、公開されたと思います。東宝系で、学校の休みに合わせ公開され、観に行きましたね。
 その後も、映画化されましたよね(残念ながら観ていません)。
 デズニーの「ライオンキング」では、「ジャングル大帝」のパクリなんて声もありましたね。でも、「ジャングル大帝」に出てくる小動物は、デズニー映画の影響を受けているような気がします。手塚先生が尊敬するデズニー・・・その映画がパクリなんてことで、手塚先生も天国で笑ってたのではないでしょうか。
 「ジャングル大帝」は、自然や動物を描くだけでなく、何か核になるものをということで、大陸移動説やそれに伴うムーンストーンの話しがあったと思います。すいません・・・原作自体は50年も前のことなので違っていたら「ごめんなさい」です。
 今回の「ジャングル大帝」は、手塚先生の思いが色濃く出ていたと思います。純粋だった(今もけっこうジュンだと思っていますが)子どもの頃を思い出しましたし、涙も出ちゃいましたね。
 自然と開発・・・何が人類のとって幸せなのか?自然と人間の共生は?人間と動物の共生は?生命って何?次から次へと問われているみたいで、「ウーン」と唸ってしまいます。
 また、人間の傲慢さや勝手さを味わうことになり、自問自答・・・この時期に観ることができてラッキーでした。
 これをきっかけに、またアニメにはまりそうです。
 

 今日公開の、『サブウェイ123』を観てきました。
 デンゼル・ワシントン×ジョン・トラボルタは、やはり見ごたえがありましたね。映像的にも、スローモーションやコマ送りを多用して、時間との戦いという緊迫感を盛り上げていました。
 地下鉄を題材にした映画は、過去にも『サブウェイ・パニック』などありましたね。地下鉄の車両という密室が、極限状態を表現するにはぴったりです。
 今回は、ただのパニック映画ではなく、乗っ取り犯のトラボルタと、交渉役のデンゼル・ワシントンのやり取りもすごかったです。息詰まる会話の中にも、いろいろなヒントが隠されていて、楽しめました。邦画だと、会話の部分がこれだけ長いとしらけてしまうかも知れません。
 私の中では、トラボルタはビージーズのサウンドに乗り、ダンディに踊っているイメージが強いのですが、今回は「悪」に徹していました。
 ワシントンの収賄の話もあり、映画が終わってもこの件はどうなったのか(どうなるのか)、考えてしまいました。ある意味、余韻を残します。・・・全米的なヒーローになったのか?収賄に伴う降格は撤回されたか?もう少し、続きがあっても良かったかななんて、思ってしまいました。

 今日は、3女と一緒にふじみ野のセイコーモータースクール(教習所)に行って来ました。以前から、「18歳になったら免許を取るんだ!」と言っていました。
 長女は教習所に通っていたのですが、途中で断念。現在も、免許は取得していません。バイトで貯めたお金で通ったのですが、それより大事な事態が発生したのだと思います。「免許がなくても運転なんか楽勝!!」と言っていますので、「お願いだから無免許での運転だけやめてくれ!」と話しています。
 次女は、やはりバイトで貯めたお金で教習所に通い、無事免許を取得。免許の取得費用は一切出さなかったのですが、結局、車を購入するのは親頼み。それに負けてしまう私も反省ですが、娘の作戦というのは巧妙で、まあ父親の心理を十二分に知り尽くしているわけで・・・
 3女ともなると、さらにしたたかに。来年1月に18歳になるのですが、1年以上前からジワジワ攻撃。免許取得費用は、「貸す」ということで、落ち着きました。本人は、「20歳までには返すから」とのこと。
そうと決まれば、早く申し込みをしたいということで、教習所を訪ねたたわけです。
 18歳にならなければ、仮免は取れないし、第1段階までしか受けられないこと。入所期間は最大で9ヶ月で、仮免後が重要なこと。結論として、申し込みは今でもできるけど、入所は18歳の誕生日の1ヶ月前くらいがベストなこと。など聞きました。
 やる気満々な本人は、「なぜ私は早生まれなのだろう」とかブツブツ言いながらも、ある程度納得。「友達と一緒に通いたい!」との思いもあったようで、少々ガッカリしたようでもありましたが・・・
 でも、年内に教習はスタートするということで、娘とは約束しました。でも、しばらくは免許の話はしないようにしようと思ってしまいました。
 「父親はつらい」ですよね。男の子(息子)は、ダイレクトな受け答えができますが、娘たちには厳しさを突きつけられませんよね。でも、親のつらさもわかってほしいような・・・喜びも悲しみも、楽しさも苦しさも・・・いつも共有してきたから、理解できることも大きいと思います。
 なんだかんだ言っても、いつも思うのは「私の子どもに生まれてきてありがとう!」です。